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横浜地方裁判所 昭和41年(ワ)1591号 判決 1969年1月29日

原告

林多久夫

ほか二名

被告

株式会社茅ケ崎タクシー

ほか二名

主文

被告らは各自原告林多久夫に対し金三、六五三、〇九六円および内金一、七五六、一〇九円に対する昭和三九年三月二〇日以降、内金一、七九六、九八七円に対する昭和四一年一二月一三日以降それぞれ完済まで年五分の割合による金員を

支払え。原告林多久夫のその余の請求はこれを棄却する。

原告林フサ同林久勝の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用については原告林多久夫と被告らとの間に生じた部分は被告らの負担とし、原告林フサ、同林久勝と被告らとの間に生じた部分は同原告らの負担とする。

この判決は、原告林多久夫において、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告らは各自、原告林多久夫(原告多久夫という)に対し、金五、四七四、五六五円および内金三、一一六、三八八円に対する昭和三九年三月二〇日以降、内金二、一七八、一七七円に対する昭和四一年一二月一三日以降、原告林フサ(原告フサという)に対し金五〇〇、〇〇〇円および原告林久勝(原告久勝という)に対し金二〇〇、〇〇〇円およびいずれもこれらに対する昭和四一年一二月一三日以降、それぞれ完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一、昭和三九年三月一九日午前一一時五分ごろ、茅ケ崎市茅ケ崎一〇、九二六番地先の交差点において、被告笛田栄治(被告笛田という。)運転の普通乗用車(神五あ九一―九九、加害車という)と、原告多久夫の運転する原動機付自転車(被害車という)が衝突し、原告多久夫は頭蓋骨骨折等の傷害を受けた。

二、本件交通事故は、茅ケ崎海岸海水浴場方面から茅ケ崎駅南口方面に向つて進行中の加害車が、左方向から進出してきた被害車と衝突して生じたものであるが、事故当時本件交差点は、交通整理の行われないかつ見透しのきかない場所であつたから、被告笛田としては交差点にさしかかつた際は、他方向からの車馬等の進出を警戒して、一時停止または徐行して左右の安全を確認した上進行すべきであつたのにこれを怠り、漫然時速三五粁で進行した過失により生じたものである。

三、本件交通事故は、一般乗用旅客自動車運送業を目的とする被告株式会社茅ケ崎タクシー(被告会社という)の従業員運転手である被告笛田が、被告会社所有の加害車を運転して、タクシー運転業務に従事中発生したものであり、被告添田規夫(被告添田という)は被告会社の代表取締役として事業を監督していたものである。

四、よつて、被告笛田は民法第七〇九条により、被告会社は自動車損害賠償保障法第三条および民法第七一五条第一項により、被告添田は同条第二項により、本件交通事故により原告らに生じた後記各損害を賠償すべき義務がある。

五、原告らが本件交通事故により受けた損害は次のとおりである。

(一)  原告多久夫の受けた損害

(1)  入院・通院期間

原告多久夫は、本件交通事故による受傷後直ちに茅ケ崎市立市民病院に入院したが、入院当初の一〇日間は意識不明で、担当医師も家族に助かる見込がないと宣言するほどの重態であつたが、幸い回復に向い退院できた。

その後、後記のとおり、入院通院を重ねたが、なお、頭痛、めまい、肩こり、高度の耳鳴り、難聴、顕著な視力低下等を伴う頭部外傷後遺症、左肩鎖関節脱臼、第五腰椎圧迫骨折、第四頸髄節以下の左半身の知覚鈍麻に悩まされ、今後必要とすべき治療期間については不明との医師の診断を受けている。

(イ) 入院期間

a、昭和三九年三月一九日から同年五月二八日まで七一日間(茅ケ崎市立病院)

b、昭和四〇年一一月九日から同四一年二月二三日まで一〇七日間(関東労災病院)

c、昭和四二年一二月七日から同年同月二六日まで二〇日間(関東労災病院)

(ロ) 通院期間と回数

a、昭和三九年五月二九日から同年一二月二八日まで毎日二一四回(茅ケ崎市立病院)

b、昭和四〇年一月五日から同年一〇月二七日まで週二ないし三回約七〇回(茅ケ崎市立病院)

c、昭和三九年六月一〇日から昭和四一年一一月八日までの間三回(東京慈恵医大病院)

d、昭和三九年一一月四日から同四三年四月一八日まで週三ないし四回約五〇〇回(関東労災病院)

(2)  実費支出による損害額 合計金二二一、九八七円

(イ) 事故当時着用の衣類、眼鏡の破損 金四、五〇〇円

(ロ) 入院中の経費(一九八日間) 合計金八四、八二六円

a、付添人費用(五〇日間) 金四七、二八〇円

b、家族バス代 金八、六一五円

c、見舞客接待費、電話料 金六、二〇一円

d、牛乳代、退院費用その他雑費 金二二、七三〇円

(ハ) 退院後の通院等に伴う経費 合計金一〇五、六二六円

a、バス代、病院下足料、食事代 金三三、四六〇円

b、通院の際の付添人旅費、食事代 金三四、三五〇円

c、牛乳代その他雑費 金三七、八一六円

(ニ) 視力低下に伴う眼鏡二個調整代 金七、四〇〇円

(ホ) 聴力低下に伴う補聴器購入、電池代 金二、八二五円

(ヘ) 診断書料、住民票、戸籍簿、

商業登記簿各謄本請求手数料その他 金一六、八一〇円

(3)  得べかりし利益の喪失 金三、一一六、三八八円

原告多久夫は、明治四二年九月一二日生れで、本件交通事故当時満五四才の健康体であつたから、今後少くとも九年間は労働可能であつた。本件交通事故による受傷のため右九年間の全期間にわたり休業せざるを得ないことになつた。

しかして、原告多久夫は勤務先の株式会社平塚専門店会から、本件事故前年の昭和三八年中に、所得税を控除し、給料賞与合計金四九七、七九八円の支払を受けていたから、原告多久夫は少くとも金四、四八〇、一八二円の得べかりし利益を喪失した。右金額から年ごとにホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して一時支払額を求めると、金三、六二三、〇七三円となる。

原告多久夫は、本件交通事故の翌日である昭和三九年三月二〇日から同四三年一月三一日までの期間に対する休業補償費として、労働者災害保障保険から金八八八、九〇九円の支給を受けた。また、昭和四三年二月一日以降の期間につき長期傷病補償給付として年額金二七一、九二七円の年金の支給をする決定を受けた。(ただし、右年金支給がいつまで継続されるか不明である。)

また、関東労災病院、茅ケ崎市立病院の各担当医師のすすめにより、試験的に元の勤務先である平塚専門店会に昭和四〇年一月から同年一〇月まで勤務し、金四〇〇、一五二円の給与の支給を受けたが、勤務が健康上無理であることが判明したので、以後は自宅で療養につとめている。

よつて、右の休業補償費等を控除し、金三、一一六、三八八円の得べかりし喪失利益を損害額として請求する。

(4)  慰藉料

原告多久夫の入院通院の経過竝にその病状は前記(1)で詳述したとおりであるから、精神的苦痛に対する慰藉料として金二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

(5)  弁護士費用

原告多久夫は、被告らが損害の賠償をしないため、財団法人法律扶助協会に申立て、法律扶助事件として取上げられることになつた。そこで、同協会から横浜弁護士会所属弁護士佐々木恭男を紹介され、同弁護士に本件訴訟の提起を依頼し、同弁護士との間に、実費金二〇、〇〇〇円、手数料金六〇、〇〇〇円、謝金は、事件終了後に同協会の決定額を支払うことを約した。右の謝金額は、認容額によつて左右されること勿論であるが、同協会によつて少くとも金一〇〇、〇〇〇円を下らない額に決定されるみこみであるので、結局原告多久夫は合計金一八〇、〇〇〇円以上の債務を負担して、同額の損害を被つた。

(二)  原告フサ、同久勝の受けた各損害

原告フサは原告多久夫の妻、原告久勝は同人の長男で、本件交通事故当時は満五〇才、満二四才であつたが、原告多久夫が入院当初一〇日間も意識不明が継続し、医師も助かるみこみはないと宣告するほどであつたので、その精神的打撃は大きく、原告フサは当初二日間付添つたものの、精神的ショックのため自分自身も一ケ月以上にわたり寝込んでしまい、その間親戚に頼んで付添つてもらうほどであつた。原告久勝も当時就職したばかりのことであつたが、会社を何日か欠勤して付添その他雑用に走り廻らねばならなかつた。原告多久夫が通院の際、特に東京の慈恵医大病院や、川崎の関東労災病院に通院の際などは往復する距離が長いので原告フサの付添も容易ならぬものがあつた。原告多久夫自身が将来も療養と休業を必要とする暗い見とおしのため、原告フサ、同久勝の不安もまた大きいものがある。そこで、右精神的苦痛に対する慰藉料として、原告フサにつき金五〇〇、〇〇〇円、原告久勝につき金二〇〇、〇〇〇円が相当である。

六、そこで被告らに対し、原告多久夫は右損害額合計金五、五一八、三七五円中金五、四七四、五六五円および内金三、一一六、三八八円に対する本件交通事故発生日の翌日たる昭和三九年三月二〇日以降、金二、一七八、一七七円に対する本件訴状送達の翌日である昭和四一年一二月一三日以降、原告フサは金五〇〇、〇〇〇円および原告久勝は金二〇〇、〇〇〇円およびこれらに対する同日以降いずれも完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本訴に及んだものである。

七、被告らの主張に対し次のとおり述べた。

(一)  被告らは、優先通行権を主張する。しかしながら、道路交通法第三六条第二項に「道路の幅員が明らかに広いもの」とあるのは、車両等の運転者が交通整理の行われていない交差点にさしかかつた際、とつさに、交差道路のいずれが広いかを明認できる程その幅員に顕著な差異のある場合をいうのである。加害車進行の道路(主要道路という)は被害車のそれ(鉄砲道という)に此べ幅員が広いことは事実であるが、「とつさにいずれが広いかを明認できる程の顕著な差異」は存在しない。本件事故当時存在していなかつた一時停止の標識が、現在設置されているのは、本件両道路の幅員の差が顕著でないため、事故が多発するに至つたため、公安委員会が事故防止のため設置したものである。よつて、一時停止の標識が鉄砲道に存在するが故に、主要道路の幅員が明らかに広いとし、加害車に優先権があつたと推論できない。

(二)  原告多久夫には何等の過失も存しない。

原告多久夫は、本件交差点にさしかかる際徐行し、交差点の端に達したあと、被害車の前部を僅かに進入させて停車し、左右を見とおした後再び発進しようとした際、時間的におくれて交差点に進入してきた加害車に衝突されたものである。

〔証拠関係略〕

被告ら訴訟代理人は、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」。との判決を求め、答弁として、原告ら主張の請求原因事実中、

「原告ら主張の日時場所において、加害車と被害車とが衝突し、原告多久夫が傷害を負つたこと、本件交通事故が、茅ケ崎海岸海水浴場方面から茅ケ崎駅南口方面に向つて進行中の加害車と左方向から進出してきた被害車と衝突して生じたこと、事故当時本件交差点は交通整理の行われていない場所であつたこと、被告笛田が事故当時被告会社の従業員であり、被告会社所有の加害車を運転してタクシー業務に従事中であつたこと。」は認めるが、その余の事実はすべて争う。

一、本件交通事故は、原告多久夫の重大な過失に起因するものであつて、被告笛田には過失がない。

加害車の進行していた主要道路と、被害車の進行してきた鉄砲道とは本件交差点において交差しており、主要道路は鉄砲道よりも幅員が明らかに広く、かつ、本件交差点において一段高くなつており、交通量も多い。しかも、鉄砲道には、本件交差点手前に、現在鉄製の一時停止の標識があるが、本件事故当時には、木製の一時停止の標識が存在していて、主要道路は鉄砲道に対し優先道路と認められていた。

およそ、車両の運転者は交通整理の行われていない交差点に入ろうとする場合において、その通行している道路の幅員よりもこれと交差する道路の幅員が明らかに広いものであるときは、広い道路から交差点に入ろうとする車両の進行を妨げないよう適宜徐行又は一時停車すべきであり、又左右の見とおしのきかない交差点においては、徐行し、左右の車両の運行に注意しながら運転すべき注意義務がある。

原告多久夫は、本件交差点を進行するのは初めてであつたのであるから、特に慎重に進行すべきであるのに一時停止も徐行もせず、左右の安全を確認せず漫然と本件交差点に進入したため、時速三〇粁の速度で進行してきて、本件交差点内に一・九〇米進入した加害車の前バンバー左端に衝突したものである。

二、被告会社は、被告笛田の選任および事業の監督ないし自動車の運行に関し十分注意を払つており、又加害車には構造上の欠陥、機能の障害はなかつた。

三、被告添田は、本件交通事故当時被告会社の代表取締役ではなく、事業の監督をしていなかつたものである。

四、以上のとおり、被告らは原告らが本件交通事故によつて被つた損害を賠償する義務はないのであるが、かりに、被告らに何らかの過失があつたとしても、原告多久夫に右の重大な過失があるから、被告らは過失相殺を主張する。

五、原告多久夫の得べかりし利益の算定にあたつては、労働者災害保障保険給付金八八八、九〇九円、昭和四〇年度平塚専門店会から給与として支給された金四〇〇、一五二円及び原告が昭和四三年二月一日以降支給を受けることが決定した長期傷病補償給付年額金二七一、九二七円についてはこれが将来引続き支給されるものとしてこれを差引いて算定すべきである。

〔証拠関係略〕

理由

一、本件事故の発生

原告ら主張の日時場所において、主要道路を茅ケ崎海岸海水浴場方面から茅ケ崎駅南口方面に向つて進行中の加害車と鉄砲道を左方向から進行してきた被害車が衝突して、原告多久夫が傷害を受けたことは当事者間に争いがない。

二、被告笛田の過失

検証の結果によると、本件交差点は幅員五米の主要道路と幅員四米五四の鉄砲道が直角に交差し、左右の見とおしのきかない交通整理の行われていない(交通整理が行われていないことは争いがない)ものであることが認められる。又弁論の全趣旨からすると、主要道路が道路交通法第三六条の優先道路の指定を受けていないことが推認される。

〔証拠略〕によると、被告笛田は加害車を運転して本件交差点にさしかかつた際、警音器を鳴らし、アクセルから足を離しただけで、徐行も一時停止もしないで時速約三五粁で進行したため、鉄砲道を左方向から進行して来た被害車に、加害車の前バンバー左側を衝突させたものと認められる。

車両等が道路交通法第四二条にいう「交通整理の行われていない交差点で左右の見とおしのきかないもの」に進入しようとする場合において、その進路が同法第三六条により優先道路の指定を受けているとき、又はその幅員が明らかに広いため、同条により優先通行権の認められている以外は、直ちに停止することができるような速度にまで減速する義務があると解すべきである。しかして、右認定のとおり、主要道路は鉄砲道に比べその幅員が明らかに広いものとは認められないから、被告笛田は過失によつて、徐行義務に違反したものと言うべきである。

三、被告会社の責任

(一)  被告笛田が、本件交通事故発生当時、被告会社の従業員であり、被告会社所有の加害車を運転して、その業とするタクシー業務に従事中であつたことは当事者間に争いがないから、被告会社は自動車損害賠償保障法第三条により、損害を賠償しなければならない。

(二)  〔証拠略〕によると、被告会社は、被告笛田を運転手として採用するに当り、事故歴を調査し、二、三年間事故歴がなかつたので、これを採用したこと、又採用当時いわゆる添乗教育によつて、事故発生防止について一般的な注意をあたえ、又危険個所については具体的な注意を与えるなどして教育したこと、又入社後も毎朝点呼前に一般的に或は具体的に注意を与えていることが認められる。

しかしながら、右の事故歴の調査のみでは、被用者の選任に相当の注意をなしたものとはいえない。又弁論の全趣旨によると、毎朝の点呼前の注意も、必ずしも厳格に行われているものとも認め難いので、事業の監督につき相当の注意をなしたものと言うこともできない。従つて、被告会社は民法第七一五条第一項の使用者としての責任も負担しなければならない。

四、被告添田の責任

〔証拠略〕によると、本件交通事故発生当時、被告会社の代表取締役は訴外小沢信重で被告添田は専務取締役として運行管理の業務に従事し、勤務条件を立案したり、運転手に事故防止の注意をあたえるなどして、タクシー事業を監督していたことが認められるから、被告添田は、民法第七一五条第二項による代理監督者としての責任を負わなければならない。

五、過失相殺

被告らは、本件交通事故当時鉄砲道には木製の一時停止の標識が存在していた旨主張するが、これを立証するに足る証拠がないので採用できない。

〔証拠略〕によると、原告多久夫が本件交差点にさしかかる際に徐行していたこと、更に、成立に争いのない甲第一七号証によると、被害車は本件交差点に一米九〇進入した後衝突したことを夫々認めることができる。

左右の見とおしのきかない交差点にさしかかつた際徐行するのは、側方からの車両に対する安全を確認するためなのであるから、交差点に接近する車両の発見につとめ、事態に即して一時停止するか、或は衝突の回避の処置に出なければならない。ただ単に形式的に徐行しただけでは意味がない。見とおしのきかない本件交差点であつても、原告多久夫において、右に述べた安全確認義務を遵守しておれば、加害車の前記速力から考えて、これを発見し容易に衝突を回避することができた筈である。そうすると、原告多久夫の安全確認義務不遵守の過失が本件交通事故発生に影響を与えたものであることは明白であるから、損害賠償につき、ほぼその額の二割を過失相殺として減ずるのが相当である。

六、損害

(一)  原告多久夫の受けた損害

(1)  実費支出による損害額

〔証拠略〕を綜合すると、原告ら主張の請求原因五、(一)(2)の事実を認めることができる。しかしながら同項記載の(ロ)のc見舞客接待費は、被告らに請求できる損害額に該当しないから、その相当額金五、〇〇〇〇円の部分はこれを棄却し、その余の金二一六、九八七円を、実費支出による損害額として認容する

(2)  得べかりし利益の喪失

〔証拠略〕を綜合すると、原告多久夫は、明治四二年九月一二日出生し本件交通事故当時満五四才の健康体であつたので、就労可能年数は約一〇年あること、昭和三八年度中勤務先の株式会社平塚専門店会から所得税を控除し、給料賞与合計金四九七、七九八円の支給を受けていたこと、原告多久夫の治療経過と後遺障害とにより右の約一〇年の期間は就労ができないものと認められる。

(イ) 本件交通事故発生の翌日である昭和三九年三月二〇日から長期傷病補償給付の行われる前日である同四三年一月三一日までの得べかりし喪失利益

原告多久夫の一年間の収入は前記のとおり金四九七、七九八円であるから、これの三年一〇ケ月分の合計は約金一、九〇八、二二六円となる。しかして、この期間休業補償費として金八八八、九〇九円の支給を、また昭和四〇年一月から同年一〇月までの給与として金四〇〇、一五二円の支給をそれぞれ受けたことは当事者間に争いのないところであるから、これらを差引くと残額は金六一九、一六五円となる。

(ロ) 長期傷病補償給付の行われる昭和四三年二月一日以降六年間の得べかりし喪失利益

原告多久夫が、昭和四三年二月一日以降の期間につき、長期傷病補償給付として年額金二七一、九二七円の年金の支給をする決定を受けたことは当事者間に争いがないので、その喪失利益は年間二二五、八七一円となる。よつて、これが六年間の合計金額一、三五五、二二六円から年ごとにホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して一時支払額を求めると、約金一、一三六、九四四円となる。

(3)  慰藉料

〔証拠略〕によると、原告ら主張の請求原因五(一)(1)の事実を認めることができる。右事実によると、原告多久夫が本件交通事故によつて被つた精神的苦痛を金銭で補うとすれば金一、五〇〇、〇〇〇円が相当である。

(4)  弁護士費用

〔証拠略〕によると、原告多久夫は佐々木恭男弁護士に対して実費手数料合計金八〇、〇〇〇円を支払つたこと、又本件訴訟の経過、難易その他諸般の事情からして、謝金は、金一〇〇、〇〇〇円を以て相当とする。

(三)  原告フサ、同久勝の損害賠償請求は棄却する。

第三者の不法行為によつて、身体を害された者の配偶者および子は、そのために被害者が生命を害された場合にも比肩すべき、または右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたときにかぎり、自己の権利として慰藉料を請求できるものと解する。しかして、前記認定の各事実に〔証拠略〕を綜合しても、配偶者たる原告フサ、子である原告久勝が自己の権利として慰藉料を請求できる程度の精神上の苦痛を受けたものとは認められない。

七、よつて、被告らは原告多久夫に対し、金三、六五三、〇九六円、および内金一、七五六、一〇九円に対する昭和三九年三月二〇日以降、内金一、七九六、九八七円に対する昭和四一年一二月一三日以降それぞれ完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。したがつて、原告多久夫の本訴請求は右限度において理由があるからこれを認容し、その余の部分を棄却する。又、前記のとおり、原告フサ、同久勝の本訴請求はいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言については同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石藤太郎)

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